幼少期からお手紙を書くのが好きで、何かあるたびに両親に手紙を書くような子供でした。高校生からスケジュール帳を持ち始め、気が向いた時にウィークリー欄に日記を書いたりプリクラを貼ったり、その日の感情を書き留め。
そして、大学3回生の頃。アメリカ留学をきっかけに、「アメリカでの貴重な日々の記憶を残したい」そんな思いで日記を始めました。最近ではジャーナル、ジャーナリングという言葉が流行り始めて、少しは日記を書く人が増えた気もするけど、それでもまだ周りでやっている人を探すのは難しい。
毎日あった出来事を書き留める日記から、その時の感情整理として大したことではなくてもとにかく気持ちを書く習慣をついたのはここ数年。
びっくりすることに、昔書いたやりたいことや夢がどんどん叶っていることに気づいた。そして、使っている言葉や感情の動きも変わっている。逆に、自分が大切にしている信念や考えは昔から何も変わっていないことにも気づいた。
私はもともと、明るい性格ではあったが、メンタルが鬼よわで誰かの一言によって自信をなくすことなんて日常茶飯事。自分の容姿にも自信が持てず、他人の目をうかがって生きてきた。中高生の頃は、みんなが「可愛い〜」というものに共感もできないのに「可愛いね〜」と言っている自分がとても嫌いだった。でも、嫌われるぐらいならみんなに合わせて生きる方が楽だった。
そんな葛藤を持ちながら生きていたけれど、「書く習慣」を続けて、自分軸が少しずつ見えてきた。何度も何度も自分の嫌なことや理想の姿を書き出し、小さなことでいいから、自分の理想に向かって1つずつこなしていく。1回じゃ忘れるから、何度も何度も書いては実行して、また忘れての繰り返し。
私が自分でも「自分は変わったな」と思う境目が今の主人と出会ってから。自分にパートナーができたという安心感と「みんなに嫌われたとしても、この人がいるから大丈夫」という安心感からか、行動が変わっていった。
また、彼に出会う前はいい出会いがないとずっと嘆いていた。いろんな人に出会っては「なんか違う」を繰り返していた。そんなタイミングで、自分は一体「なんでなんか違う」と感じるのか言語化してみようと「自分の好きなタイプ」を書き出した。
その数ヶ月後に出会った彼、書き出した「自分の好きなタイプ」に全て当てはまっていた。引き寄せってスピリチュアルみたいだとか、宗教っぽいとか色々言われることもあるけれど、日々言語化することで、なんとなく感じていた「違う」や「好き」が自分の中ではっきりしてくるんだろうなあ。
20歳〜30歳の私の成長が詰まったノート。もちろん毎日書く時もあれば、書き忘れる日もあるのだけど、書き忘れた時に毎回「昨日何したっけ?」「一昨日何したっけ?」と忘れている自分に出会うと「人間って毎日悩んで生きてるけど、昨日のことも忘れてるぐらいなんだから気楽に生きよ」となる。
忘れやすいからこそ、毎日の成長を書いて自分で残しておくことで、可視化されて自信になるんだと思う。
おそらく私は死ぬまで書き続けるんだろうな。
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